相続財産の意義に関する判例

民法921条3号にいう相続財産の意義(昭和61年3月20日第一小法廷判決)

<主文>
一 原判決中上告人敗訴の部分のうち樹木除去による損害賠償請求に係る部分についての本件上告を却下する。

二 原判決中前項の請求を除くその余の請求に係る部分のうち、
 (一) 第一次請求につき三六〇万円に対する昭和四九年一二月三日から昭和五三年五月一一日まで年五分の割合による金員を超えて上告人の控訴を棄却した部分、
 (二) 第二次請求につき三六〇万円に対する昭和四九年一二月三日から昭和五四年二月二七日まで年五分の割合による金員を超えて上告人の控訴を棄却した部分、
 (三) 被上告人B1に対する第三次請求につき三六〇万円に対する昭和四九年一二月三日から昭和五三年五月一一日まで年五分の割合による金員を超えて上告人の控訴を棄却した部分について、原判決を破棄する。右各部分につき本件を広島高等裁判所に差し戻す。

三 その余の本件上告を棄却する。

四 第一項及び前項に関する上告費用は上告人の負担とする。

<理由>
一 上告代理人の上告理由四について。

原審は、(一) (1) 上告人は、昭和四九年七月頃、D(以下「D」という。)との間で、昭和四二年頃以来引渡を受けて使用してきた本件土地を代金三六〇万円で買受ける旨の売買契約(以下「本件売買」という。)を締結し、昭和四九年一二月二日までに右代金全額を支払つた、

(2) 上告人はDが司法書士であったので本件売買に基づく所有権移転登記手続を同人に依頼していたが、同人はその手続をしないまま、昭和五二年九月一六日に急死した、

(3) 同人は右死亡前の同年一月二五日、E観光株式会社(以下「E観光」という。)に対し本件土地を二重に売り渡した、

(4) Dの相続人は被上告人ら三名であつたが、被上告人らは、同年一二月一六日、広島家庭裁判所に対しDの相続に関し限定承認の申述をし、右申述は昭和五三年一月二六日に受理された(以下「本件限定承認」という。)、

(5) E観光は同年五月二日、F(原判決中に「G」と表示されているのは誤記と認める。)に対し本件土地を売り渡した、

(6) 被上告人らは、本件土地につき共同相続登記をしたうえ、同月一二日、DのE観光に対する前記売買の履行として、Fに対し所有権移転登記(以下「本件登記」という。)をした、との事実を確定したうえ、

(二) (1) 被上告人らが本件限定承認の申述に際し同家庭裁判所に提出した財産目録には本件売買に伴ってDが上告人に対し負担していた相続債務の記載が脱漏していたため、本件限定承認は無効であり、被上告人らは、単純承認をしたことになるから、本件売買に基づく所有権移転登記義務を承継した、

(2) しかるに、被上告人らはFに対して本件登記をしたものであって、右は、上告人の本件土地の買主としての権利を侵害する不法行為であるとともに、右登記義務の履行を不能とする債務不履行である、

(3) よって、上告人は被上告人らに対し、第一次的に不法行為を理由とし、第二次的に債務不履行を理由とし、損害賠償として各自三六〇万円及びこれに対する昭和四九年一二月三日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める、との上告人の請求に対し、

(三) 財産目録に上告人主張の相続債務の記載を脱漏したとしても本件限定承認を無効とする事由にはならないし、本件限定承認が有効である以上、被上告人らは上告人に対し本件土地について所有権移転登記をすべき義務を負わなくなったと判断して、右各請求を全部棄却すべきものとしている。

しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。

民法九二一条三号にいう「相続財産」には、消極財産(相続債務)も含まれ、限定承認をした相続人が消極財産を悪意で財産目録中に記載しなかったときにも、同号により単純承認したものとみなされると解するのが相当である。

けだし、同法九二四条は、相続債権者及び受遺者(以下「相続債権者等」という。)の保護をはかるため、限定承認の結果清算されるべきこととなる相続財産の内容を積極財産と消極財産の双方に ついて明らかとすべく、限定承認の申述に当たり家庭裁判所に財産目録を提出すべきものとしているのであって、同法九二一条三号の規定は、右の財産目録に悪意で相続財産の範囲を偽る記載をすることは、限定承認手続の公正を害するものであるとともに、相続債権者等に対する背信的行為であって、そのような行為をした不誠実な相続人には限定承認の利益を与える必要はないとの趣旨に基づいて設けられたものと解されるところ、消極財産(相続債務)の不記載も、相続債権者等を害し、限定承認手続の公正を害するという点においては、積極財産の不記載との間に質的な差があるとは解し難く、したがって、前記規定の対象から特にこれを除外する理由に乏しいものというべきだからである。

そうすると、原審の確定した前記の事実関係によると、本件売買に基づくDの上告人に対する義務は、未だ履行されていなかったのであるから、相続債務(消極財産)として財産目録に計上されるべきものと考えられるところ、上告人の前記の主張の趣旨とするところは、不明確ながらも、被上告人らは悪意で右相続債務を財産目録に記載しなかったものであって同法九二一条三号に該当し、これによって単純承認の効果を生じたものであることを前提として、被上告人らがFに本件登記をしたことにつき、第一次的に不法行為を理由とし、第二次的に債務不履行を理由として損害賠償を求めるというにあるものと解されるから、以上の説示に照らし、原審としては、右相続債務の財産目録への記載の有無、不記載の場合の被上告人らの悪意、被上告人らそれぞれの相続分等を確定し、上告人の前記各請求の当否につき判断を加えるべきであったというべきところ、これと異なる見解に基づき、右の点につき審理を尽くすことなく、財産目録に上告人主張の相続債務の記載が脱漏していても本件限定承認を無効とする事由にはならないとして、消極財産の不記載は単純承認をしたものとみなされる事由に当たらないとの趣旨を判示したことに帰する原判決には、法令の解釈適用の誤り、審理不尽ひいて理由不備の違法があるものというべきである。

したがつて、原判決中、第一次請求につき右三六〇万円及びこれに対する本件登記の日である昭和五三年五月一二日から完済までの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を棄却すべきであるとして上告人の控訴を棄却した部分、並びに第二次請求につき右三六〇万円及びこれに対する請求の趣旨変更申立書の送達による催告の日の翌日であること記録上明らかな昭和五四年二月二八日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を棄却すべきであるとして上告人の控訴を棄却した部分は破棄を免れず、論旨は右の限度において理由があるが、右各請求のうち、その余の遅延損害金の支払を求める部分は、上告人の主張を前提としても、第一次請求については本件登記の日の前日まで、第二次請求については前記催告の日まで、前記各請求に係る損害賠償債務が遅滞に陥ると解すべき根拠はないから、右各請求を認容する余地はなく、したがって、原判決中石部分に係る請求を棄却すべきであるとして上告人の控訴を棄却した原審の判断は、結局正当というべきであり、この部分に関する論旨は理由がない。

そして、右破棄部分については、前示の観点から更に審理を尽くさせる必要があるので、右部分につき本件を原審に差し戻すのが相当である。

二 同三及び五について

原審は、前記確定事実のほか、

(一) (1) 被上告人B1(以下「被上告人B1」という。)は昭和五三年一月三〇日にDの相続財産管理人(民法九三六条一項)に選任された、

(2) 本件限定承認にかかる清算手続は未だ完了していない、との事実を確定したうえ、

(二) (1) 限定承認後の相続財産は全相続債権者の債権の弁済に充てられるべきものであるから、DとE観光との間で本件土地についての売買がされても相続人はこれに応じた所有権移転登記手続をしてはならない、

(2) しかるに、被上告人らは法定の清算手続に違反してDのE観光に対する売買の履行としてFに対し本件登記をし、このため上告人は本件売買の代金額相当の損害を被った、

(3) そこで、上告人は被上告人らに対し、民法九三四条に基づく損害賠償として各自三六〇万円及びこれに対する昭和四九年一二月三日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める、との上告人の第三次請求に対し、

(三) (1) DがE観光との間で本件土地の売買をしたとしても、その旨の所有権移転登記がされる前に被上告人らが限定承認をした以上、本件土地は相続財産とされ、したがつて、本件土地に本件登記をしたことは、民法九二九条に違反するものとして、財産管理人である被上告人B1の責任にとどまるか否かは別として、同法九三四条による損害賠償責任を生じうる、

(2) しかし、被上告人らの限定承認にかかる清算手続は未だ完了しておらず、本件登記により上告人に生ずる損害の有無、その損害額はなお確定していない段階にあるから、上告人の前記主張は失当である、として、右請求を全部棄却すべきもの判断している。

ところで、共同相続の場合において、民法九三四条に基づく損害賠償責任を負うべき者は相続財産管理人に選任された相続人のみであり(同法九三六条三項、九三四条)、原審の確定したところによれば、本件限定承認において相続財産管理人に選任された者は被上告人B1であるというのであるから、上告人の前記請求のうち被上告人B2及び同B3に対する請求は、失当として棄却を免れないものといわなければならない。

したがって、右部分にかかる請求を棄却すべきものとして上告人の控訴を棄却した原審の判断は、結局正当というべきである。

また、上告人の右請求のうち、被上告人B1に対し三六〇万円に対する昭和四九年一二月三日から昭和五三年五月一一日までの遅延損害金の支払を求める部分については、上告人の主張を前提としても、本件登記がされた同月一二日より前に右請求に係る損害賠償債務が遅滞に陥ると解すべき根拠を欠くから、右請求を認容する余地はなく、したがって、右部分に係る請求を棄却すべきものとして上告人の控訴を棄却した原審の判断もまた結局正当というべきである。

以上の点に関する論旨は理由かないことに帰する。

しかしながら、上告人の前記請求中その余の部分(被上告人B1に対し、三六〇万円及びこれに対する本件登記の日である昭和五三年五月一二日から完済に至るまでの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分)について、限定承認に伴う清算手続が完了していない以上、民法九二九条違反を原因とする同法九三四条の規定に基づく損害の発生の有無及びその額を確定することはできないとした原審の前記判断を是認することはできない。

すなわち、民法は、限定承認に伴う清算手続を公平に実施するため、一定の期間(九二七条一項、九三六条三項)を設けて、相続債権者及び受遺者に請求の申出をさせることとし、相続人又は相続財産管理人をして右期間内に相続財産及び相続債務の調査をさせて相続債務の弁済計画を立てさせるものとし、この調査等の必要上、この期間中は一般的に弁済を拒絶することができるものとの支払猶予を与えるとともに(九二八条)、右期間満了後は、右期間内にした計算に従い、相続債権者に対し配当弁済すべきものとしている(九二九条)のである。

以上によると、右期間満了後は、所定の計算も完了し、各相続債権者に対する弁済額も確定してこれを弁済することができるし、またその義務もあることが法律上予定されているものというべきである。

そうとすれば、一定の相続債権者に対し不当な弁済があったとしても、それによって他の相続債権者に対して弁済ができなくなった金額(これが、同法九三四条に基づく損害賠償額にほかならない。)は、右期間満了後の段階においては、おのずから計算可能のはずであって、清算手続が完了しない限りはその算定が不能であるというべきものでないことは明らかである。

原審としては、進んで被上告人B1の上告人に対する同法九三四条に基づく損害賠償責任の有無、上告人が本件登記によって被った損害の額等を審理したうえ上告人の前記請求の当否を判断すべきであったというべきであり、これと異なる見解に立ち、右の点について審理を尽くすことなく、清算手続が完了していない以上損害額は確定しないとした原判決には、法令の解釈適用の誤り、審理不尽ひいて理由不備の違法があるものというべきである。

論旨は理由があり、原判決中、上告人の前記請求を棄却すべきであるとして上告人の控訴を棄却した部分は破棄を免れない。

そして、右部分については、前示の観点から更に審理を尽くさせる必要があるので、右部分につき本件を原審に差し戻すのが相当である。

三 上告人は、原判決中本件土地上の樹木除去に基づく損害賠償請求に関する上告人敗訴部分について、上告理由を記載した書面を提出しない。

四 よってその余の論旨に対する判断を省略し、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条二項、三九九条一項二号、三九九条ノ三、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

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